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今週は祖母の葬儀がありました。享年百一歳でした。

1915年、第一次世界大戦の最中に横須賀に生まれました。戦前に滋賀の家に嫁ぎ、3人の子供をもうけました。戦中は3人の子供を連れて疎開生活に追われ、戦後もしばらくは職にあぶれた祖父を支え、田舎で農作業に明け暮れたそうです。その後、祖父が職を得たのをきっかけに名古屋へ移り住みました。最初に住んだのが名古屋港のそばで、伊勢湾台風で被災したのを機に内陸部へ転居。次男の叔父一家と生涯を過ごしました。

100歳を過ぎるまで大きい病気もすることなく、一切の介護を受けることもありませんでした。昨年末に体調を崩して入院したのをきっかけに急激に体力が衰え、年を越すのも難しいと言われながら、5か月間を点滴だけで生きました。最後は眠ったまま消えるように大往生を遂げました。

兄弟姉妹や従兄弟など同世代の親族はすでに亡く、葬儀に参列したのは子、孫、曾孫の世代のみでした。長男である私の父もすでに亡く、父と同世代の甥、姪などもすでに亡くなっている方もいるし、体力的に参列できない方も多かったようです。

お骨はかなりほとんど残らなくて、大腿骨と骨盤、頭蓋骨も半分くらいしか確認できませんでした。後はどこの部位か言われないとわからないくらいに粉々でした。もちろんそんなに多くのお骨を見てきたわけではないし、一番記憶に鮮明な父のお骨は70代でとりわけしっかりしていたのもあると思います。

私は何歳まで生きるのかわからないしできれば長生きしたい気持ちもありますが、果たして100歳を超えるまで長生きするのが本当に幸せなことなのかわからなくなりました。長く生きる中で自分の子供すら見送る立場になって悲しいことも多かったと思います。最後は完全に寝たきりで褥瘡も酷かったようです。辛かったのではないかと推察しますが、それを表現する体力すら残っていませんでした。ただ数か月寝たきりでお迎えを待つ気持ちというのは想像もつきません。

もちろん祖母の人生を否定するつもりもないし、これだけ長く生きてくれたことに感謝は尽きません。きっとそうなる運命であったのだろうし、考えても仕方のないことなのだろうと思います。

おばあちゃん、長いことお疲れさまでした。

grandma

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  • chikai

    心からお悔やみ申し上げます。
    最近、こちらのブログの他の記事がきっかけで拝見している者です。
    先々週、別件でメールをお送りしたのですが届いているかわからなかったので、こちらに書かせていただきました。

    ブログを拝見しまして、主様がご家族を大事にされていることがよく伝わります。
    ですから、御祖母様のことも大切にお思いになっていたと拝察しますし、それゆえにお気持ちに寄り添いお辛かったのではと心中お察しします。
    私の曾祖母は年齢が百歳を越え、それまでに自分の子や親族を見送りました。私の親族でもあり、その時は私もとても悲しかったのですが、曾祖母のことを思うとそれ以上に言葉で言い表せず、悲しいと言うには余りある気持ちになります。

    「がんばったね」とお声をおかけになったご親族の方々、そして、生きてくれてきたことに感謝をお伝えになった主様のお気持ち、お心を育まれた御祖母様はとても素敵な方だったのでしょうね。
    謹んで哀悼の意を表します。

    • QJV97FCr

      ちかいさま
      コメントありがとうございます。祖母が亡くなったのは残念ではありますが、天寿を全うできたことは親族一同喜んでいました。
      メールは完全に見落としていて申し訳ございませんでした。お返事させていただきましたのでご確認ください。