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2012年にはいわゆる東電OL殺人事件が再審により無罪が確定し話題になりました。数年前にも同じように無期懲役の有罪判決が再審によって無罪になった事件がありましたのを覚えているでしょうか。いわゆる足利事件です。

足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本、栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人として誤認逮捕、起訴され、実刑が確定して服役を余儀なくされた菅家利和と、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、確実な無実、さらに冤罪であったことが発覚。服役中だった菅家はただちに釈放され、その後の再審で無罪が確定した。
(足利事件 – Wikipediaより引用)

本書はこの足利事件について綿密な取材を基に事件の詳細な経緯と疑問点や問題点を描いたものです。元々は雑誌「月刊現代」に連載された記事であり、これが単行本化され、さらに文庫化されています。雑誌の連載は控訴審の進行と同時に進められ、控訴棄却後に単行本化、文庫化は再審開始の決定後です。

ご本人があとがきにも書かれていますが、著者は単純に菅家さんの冤罪を訴えるだけではありません。事件についての純粋な疑問から真実を求めて取材を重ねるうちに冤罪という結論に到達します。

その姿勢は、あとがきにあるこんな一節からも読み取れます。再鑑定によりDNA型不一致の結果が出て東京高裁が再審を決定したことをうけての一文です。

…今回の再鑑定に間違いがなかったことを、公正・中立な第三者の専門家による吟味もなしに容認した裁判所の態度は、過去の轍を踏んでいるように思われます。…
(文庫版517頁より)

この事件はある意味で不幸な事件であったと言えます。この冤罪を生んだ要因は大きく二点挙げられるとます。一点はDNA型鑑定への過信、もう一点は軽度知的障害への無理解です。

この事件では当時警察の捜査に導入され始めたばかりのDNA鑑定結果が逮捕の決め手になりました。警察は科学的手法として個人特定能力の高いDNA鑑定を捜査に導入することにやっきになっていて、何としても実績を挙げたかったのであろうことがわかります。実際にはDNA型鑑定は研究途上にあり捜査で採用されたMCT118型法は個人特定能力に問題があることはすぐに判明します。またDNA型鑑定についての運用も確立されておらず、犯人の精液が付着した被害者の衣服の保存状態も問題があったことがわかっています。

もしかしたら事件が起きるのが5年早かったらこのような冤罪事件は起きなかったかもしれません。

冤罪被害者の菅家さんは逮捕後の精神鑑定で「精神薄弱境界域」と判定されます。「精神薄弱境界域」とは知能指数は70~84で、通常よりも低いけれど一般生活ができないほどではない、微妙な位置です。実際に菅谷さんは大型免許を取得して幼稚園のバスの運転手を長く勤めています。少なくとも刑事責任能力を認めるのは問題ないレベルでと考えられています。しかしこの事件では警察の威信がかかった重要な事件となっており通常以上に執拗な取調べが行われ、時に自供の強要があったと言われています。精神薄弱境界域にあり、困難なことからは逃げるようにして周囲の人たちに後始末をしてもらい続けてきた菅家さんが警察の執拗な取調べから逃れるために嘘の自供をしたことは仕方のないことかもしれません。

もしかしたら容疑を持たれた人物がもう少し知的水準の高い人だったらこのような冤罪事件は起きなかったのかもしれません。また、裁判所がそのような精神状態を理解して自白の任意性を正しく判断できていれば、もっと早く釈放されていたかもしれません。

冤罪被害者の菅家さんは、たまたま犯人像に近い人物であって、たまたま精度の低い鑑定法によってDNA型が一致して、たまたま軽度な知的障害であったために思わず嘘の自供をしてしまった、そんな不幸な事件だったのです。

奇しくも無実を訴えた控訴審で裁判長を務めたのは高木俊夫裁判長です。この方は東電OL殺人事件でも控訴審の裁判長を務めた人物です。また、冤罪との疑いが極めて強いと言われるいわゆる狭山事件でも再審請求を却下した人物です。もう亡くなった方なのであまり悪くは言えませんが、司法組織の中にこのような人物が出てくることは仕方ないにしても、何の責任も追及できない現在の制度には疑問を持たざるをえません。

どうしても「冤罪」の話題になると、警察や司法の問題を追及する方向になります。もちろんこのようなことが起きないように暴力装置の中の人間をどう縛るべきかも重要なことです。しかし一番憎むべきは残酷な犯罪を犯した真犯人だと言うことを忘れてはいけません。

本書の最終章は「叫び」と付けられた9ページの短い文章です。ここでは被害者のマミちゃんの両親の物語が描かれます。私はこの最終章こそが本書の価値を決定付けていると考えます。

 僕は、その家の玄関で表札を確かめると、「こんにちは」と声をかけた。玄関横の窓の方から男の声で返事がした。父親だった。彼は窓の戸を閉めたまま「どちらさんですか」と聞いた。僕は名前を名のると、隣の家を気にしながら取材で訪れたことを告げようと事件の名を口にした時だ。
 父親は、あらん限りの力を振り絞ったのだろう。喉が破裂したかのような叫び声を挙げた。
「か、え、れー!」
(文庫版500頁より)

栃木県足利市周辺では、菅家さんが起訴された1990年のマミちゃん(当時4歳)殺害事件の他にも、1979年のマヤちゃん(当時5歳)、1984年のユミちゃん(当時5歳)が殺害されています。そして控訴審判決のあった1993年にもゆかりちゃん(当時4歳)が行方不明となっています。

幼児誘拐事件というのは極めて検挙率が高く20世紀の間はほぼ100%だったそうです。なのでこのように特定の地域で複数の幼児誘拐事件が未解決のままになっていることは稀なことだそうです。それも菅家さんの冤罪事件を生む一因になったのではないかと言われています。

この冤罪事件によって本来裁かれるべきだった凶悪犯人が今この時までのうのうと自由を謳歌しているという現実があります。冤罪事件が許されるべきでない一番の理由はそういうことなのだと思います。


関連本の書評はこちら

『東電OL殺人事件』佐野眞一(著)
『東電OL症候群(シンドローム)』佐野眞一(著)
『狭山事件の真実』鎌田慧(著)

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