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2011年3月11日14時46分頃、三陸沖でマグニチュード9.0、国内観測史上最大の地震が発生した。宮城県北部と中部で震度7を観測、東京でも震度5を観測した。

一夜明けた今日も余震は続いており津波警報も解除されていない。テレビは全ての局で地震関連の報道を続けている。福島の原発では抑圧機能が失われ予断を許さない状況だ。

地震発生当時ぼくは千代田区霞が関の地上22階にあるオフィスで就業中だった。パソコンに向かって何かの文書を作成していたと記憶しているが、「何か頭がくらくらするなー」とか思ってたら隣の人が「揺れてるよね」と話し掛けてきた。「あー地震か」と思った直後に激しい縦揺れがドンと来て、続いて大きい横揺れが始まった。おそらくビルの耐震構造のせいだと思うがかなりの長時間横揺れが続いた。オフィス内に据え付けられていたスライド式のキャビネットがぶつかり合って激しい騒音を立てていた。

最初の揺れが収まった後もしばらく大きい余震が何度も続いた。その度にビル全体が大きくゆっくり揺れるものだから軽く酔って気持ち悪くなった。

窓の外を見るとお台場方面で黒い煙が上がっていた。テレコムセンターで火災という情報が入る。隣の島の同僚はテレコムセンターに導入したシステムがあったらしく客先と連絡を取ろうとしていたが、電話も繋がらずメールも返信がないと途方に暮れていた。

情報源はワンセグで視聴するテレビとtwitterだった。情報の早さは圧倒的にtwitterが早かったけれど、断片的な情報がほとんどで有用な情報を拾い出すのは困難であった。テレビ局のフィルターを通した確実な情報を映像として届けてくれるテレビは最も信頼できる情報源だった。ワンセグが見れてネットに繋がって電池が保つガラケーの方がスマートフォンよりも有用であるように見えた。いつもiPhoneを自慢してくる粘着質な同僚が黙ってネットでYahooを更新し続けていたのが印象的であった。

会社からは「就業時間は気にせず各自の判断で帰宅するように」というお達しが出たのだけれど、首都圏の交通網は完全にストップしていたのでオフィスで交通の復旧を待つことにした。早々に都バスが動き出したという情報があったが路線がわからないのでスルーした。バスのみの乗換案内を誰か作ってくれると有難い。

20時30分頃にtwitterで銀座線が動き出したとの情報が入った。とりあえず渋谷に出れば最悪歩いても2時間以内に帰れる。であれば日が変わるまでには帰宅できる。そういう判断でオフィスを後にした。銀座線は相当な混雑であったが良く考えると金曜の夜の銀座線はいつもこんなもんだ。無事に渋谷に到着したけれど井の頭線は復旧目途なし、道路も大渋滞なので予定通り徒歩で帰ることにした。(ちなみに銀座線は渋谷駅の混雑の影響で1時間後に運転を停止した。)

道玄坂を神泉交差点まで上がって山手通りを新宿方面へ向かう。途中で左折して東大駒場キャンパスの前を通過して東北沢駅の踏切を通過する。井の頭通りに入って環七まで歩く。ここまでずっと同様に徒歩で帰る人たちで行列ができている。道路もずっと渋滞していて、おそらく歩いた方が早かっただろう。

環七の交差点手前でtwitterから京王線復旧の情報が入る。ちょうど代田橋の駅が目の前だ。駅に着くと改札が解放されている。JRは早々に運行を断念していたから中央線沿線の人にこの情報が届くと良いなと思いつつtwitterへ投稿。電車はかなりの頻度で、かつ途中停止することもなく走っていた。お蔭さまで23時には最寄り駅へ到着していた。

猛烈な空腹を感じて駅前の中華料理屋で中華丼と生ビールの晩御飯をいただいて帰宅した。家の中は全くと言って良いほど影響がなく、机の上に積んであった本の一冊が床に落ちていただけだった。

今朝からずっとNHKで報道を見ている。とても陸続きの同じ国の出来事には見えない惨状だ。被災地の皆さんのために今何ができるかをずっと考えているのだけれど、家でなるべく電力を使わないようにじっとしていることくらいしか思い浮かばなかった。

犠牲者の皆様のご冥福をお祈りします。被災者の皆様、がんばってください。何もできませんが東京から応援しています。

※3/13 気象庁がマグニチュードを9.0へ修正したため対応して修正した。元々気象庁はM8.8としていた。M8.9は米地質調査所の解析だった。

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