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知人に面白かったと言われて読んでみました。ちょうど精神障害者の犯罪に関する本を読んだばかりだったので色々と考えさせられました。

この本です→『累犯障害者』山本譲司(著)

見逃していたんですが、どうやらちきりんさんの日記で紹介されていたそうですね。書店でも平積みしてあって話題になってるんだなー、くらいに思ってたんですが、そういうことだったんですね。っていうかブログ記事一本で本一冊を平積みに引っ張り出すって考えてみるとすごい話です。

この記事です→1986年の7月、僕は体制を変えたいと思った。 – Chikirinの日記

たぶんほとんどの人は統合失調症の人と直接触れ合った経験ってないと思います。私もありません。たぶん症状が出ている人はわれわれが正常なものと認識しているような社会生活が営めない状況なんだろうし、患者数もそんなに多くないんでしょう。と思ってWikipediaを調べてみたんですが、日本では約80万人の患者がいるそうです。人口を1億3千万とすれば0.6%の発生確率で500人に3人いる計算になります。私の通った高校は一学年600人いましたから、あの中でも1,2人は発症してもおかしくない確率と考えると、結構身近なのかも知れません。

本書の前書きや解説で著者の周囲の方が触れているように、患者本人がこれだけ精細に病状を把握して後から客観的に振り返ることができるのは極めて特殊な事例なんだろうと思います。一応健常だと自認している私ですが、10年前の出来事を文章にしろと言われてもなかなかここまでの緻密さで描くことはできる気がしません。仮に記憶に残っていたとしても狂っている状態の記憶を呼び戻すのってかなりの勇気が要るんじゃないかなんて思います。読む方はサラッと読んでしまうんですけれど、文章に落とす段階でものすごい苦悩があったんじゃないかと勝手に想像してしまいます。

本書を読んでいると、精神疾患者と健常者とは紙一重なんだろうことが実感として感じられます。今の社会の常識とされるものでは彼は精神障害者で自分は健常者であるけれど、ちょっとその境界線がずれてしまえば、自分も障害者になるかもしれないし、彼が健常者になるかもしれない。彼が健常者で自分が障害者になるかもしれない。そんな気にもなってきます。

本書は現役の統合失調症患者が自らの筆で病気の発症から発作時の記憶などを赤裸々に綴った類例のない書です。奇しくもかの宮崎勤の幼女連続誘拐殺人事件と時を同じくし、また新潟県柏崎市を後半の舞台としており原発の地元に生きることについても僅かながら触れられます。

これから著者の小林さんがどのような運命を辿ることになるのか、それは神のみぞ知ることでしょうが、本書を残してくれたことに感謝したいと思います。ありがとうございました。

本書の一番最後に著者の友人である望月さんの寄稿文が掲載されています。本書を読んで精神疾患は怖いな、患者の皆さんは大変だな、と純粋に思うことも重要なのかもしれません。しかし、一般社会に生きる側の私たちが考えなければいけないのはむしろこういうことなんだろうと思います。

 小林君は現在の病気を完治させたいのだろうか。もし完治する病気だとしたら、一人前の社会人に戻る気は。それはすなわち障害者年金を打ち切られて自立することを意味する。普通は病気というのは嫌なもののはずだが、彼はもしかして今のままが気楽でいいと思っているのではないかと、そんな気もするのだ。もちろん病気は辛いものだろうが、自立した社会人として生きていくのも、言わずもがなだが様々に辛い。この点に関して考えると、いろいろ複雑な気分になる。
(本書P.368「小林君との長い日々」より引用)

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