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SEの「35歳定年説」というのは、読んで字の如く、SEという職業は35歳を過ぎるとキャリア的に限界を迎えて使い物にならなくなる、という都市伝説だ。ぼくは今年の5月でSEを辞めたわけだけれど、8月には35歳になるので、改めて考えてみたいと思った次第である。この言葉はSEになった当初から引っ掛かっていたものであるが、こんなにキレイに「35歳定年説」を地で行くことになるとは思っていなかった。人生とは面白いものだ。

35歳定年説って何だっけ

ぼくが新卒で某外資系コンピュータメーカに就職したのは1999年のことだ。当時から「35歳定年説」というのは実しやかに囁かれていたのだけれど、当時はいわゆる就職氷河期で、ぼくらの中では何とか会社に潜り込めた安堵感の方が圧倒的に大きく、そんな干支を一回りした先の将来の話などSFみたいなものだった。

実際、会社に入ってみれば40過ぎのおじさんたちがSEとして普通に仕事をしていた(ように見えた)わけで、まあ、中にはだんだん付いていけなくなる脳タリンはいるかもしれないけれど、ちゃんとやってれば大丈夫だよね、と話し半分くらいに考えていた。

ただ、PMという言葉も満足に普及していなかった当時は「SEから先のキャリア」ってあまり明確ではなくて、「生涯一SE」みたいな脂ぎった感じのおじさんも多かったような気がする。だからこそ、「35歳定年説」みたいなセンセーショナルなキャッチフレーズを掲げて、SEのキャリアについて真剣に考えようという雰囲気が雑誌等のメディアにも流れていたような記憶がある。そう言えば、その手の専門誌も最近は見掛けなくなってしまったね。

さて、そもそも「35歳定年説」って何かという話をしなければいけない。当然それまでバリバリ現役で働いていた人が35歳を境に燃え尽きて廃人になるわけではない。諸々の事情を考慮するとSEとして十分なパフォーマンスが発揮できるのはその周辺の年頃が限界だよね、という話である。だから、議論を進めるためには「定年」とはどういう状態かを明確に定義する必要があるだろう。

ネット上でも頻繁に話題になるので多くの良記事が確認できるから、詳細はそちらに譲りたい。ざっとみたところ一番良かったのはこちらの記事である。他の先達の意見も集約されていてすばらしいの一言だ。これを紹介しただけで終わりにすることも可能な感じだ。

改めて考えてみる「SE35歳定年説」 – がるの健忘録

折角ここまで書いてきたので、くじけずにこれらを参考に「定年」状態を定義してみよう。ちょっと言い回しを変えさせていただくが、概ね以下の四点が特徴として挙げられるようだ。

  • 35歳を過ぎると、体が付いていけなくなる
  • 35歳を過ぎると、頭が付いていかけなくなる
  • 35歳を過ぎると、管理職にならなければいけない
  • 35歳を過ぎると、現場仕事では十分に稼げなくなる

更に良く見ると、前半2つは生物学的な老化現象に、後半2つは組織論的な問題に大別できるだろう。というわけで、2つの命題が残されたわけだ。

  1. SEは35歳を過ぎると、知力体力において、付いていけなくなってしまうのか?
  2. 35歳を過ぎた人間にSEをさせるのは、組織として許容できないのか?

ぼくの個人的な結論から言うと、先の命題の回答はNoであり、後の命題の回答はYesである。

SEは35歳を過ぎると、知力体力において、付いていけなくなってしまうのか?

まずは知力に関して。先のリンクの記事にある通り、情報処理工学の基礎が身に付いていて、ある一時期に十分な深さまでIT技術を理解することができた人間が継続的に業務に携わっていれば、突然新し過ぎて付いていけないようなことは、少なくともこの10年の技術的な変遷を見る限りは無いだろうと考えている。もちろん、ある時期にある程度集中的に、その時代のIT技術を体系的に押さえておく必要はあるだろう。そういう努力を怠った結果、何でも昔の技術に言い換えて会話にならない人も確かに一定数存在する。しかもそういう人って昔の技術の方が優れていたかのような言いっぷりをして大変気分が悪い。しかし、ここではそういう人たちは除外させていただきたい。そういう人たちはSEとして認められないから。

次に体力に関して。確かにSEの仕事はチームで動く上に、同時並行できない作業が意外と多いので、必然的に拘束時間が長くなってしまう面はある。でも、ぼくのSE時代の仕事っぷりを振り返ってみると、拘束時間に対する稼働率が極端に低かった。特にプロジェクトでリーダー的な立場になると、下から作業結果が上がってくるのを待って、それを客なり別のメンバーなりにスルーパスするのが仕事だから、大きなトラブルが起きない限り正味の稼働率は30%切るんじゃないだろうか。そんなわけで、帰宅が深夜になったりして忙しそうに見えるのも確かだけれど、体力的に若くないと勤まらないということはあり得ない。だって仕事してないんだから。

第1の命題に対する結論としては、少なくとも35歳の時点で知力体力的に定年を迎える人はほとんどいないだろう、ということになる。よって回答はNoである。

35歳を過ぎた人間にSEをさせるのは、組織として許容できないのか?

ほとんどのまっとうな人生を歩んでいる人たちにとっては、歳を経るごとに生きているだけで支出が増えていくことになる。だから企業は平均的に収入が必要な年代に必要と考えられる給料を与えようとする。社員の生活基盤を安定させることで良い仕事をさせて生産性を高めたいからだ。

一方で、時間には物理的な制限があるから一人の人間がより多くの金を稼ぐためには時間単価の高い仕事をする必要が出てくる。そして、SI事業においては、製造を行うPGよりも設計を行うSEの方が単価が高く、設計を行うSEよりも要件定義を行うSEの方が単価が高く、全体の管理を行うPMの方がさらに単価が高く設定されるのが通常である。頭脳労働なのか肉体労働なのかに依らず、労働集約的な職場においては、リスクの高いポジションの方が単価が高くなるからだ。

例えば、高層ビルを建築しようとしたとして、上層階を建築しているときに計算間違いで基礎の設計を間違っていたことが発覚したら、最悪の場合はすべて取り壊して建て直すことになるだろう。この場合、最終的にクライアントに対して最大限の賠償をしなければいけないのは全体を取り仕切っているゼネコンであって、建築していた大工でないのは明らかだ。その分だけゼネコンはリスクを取っているのであって最も取り分が大きいわけだ。

話が逸れたが、会社員としてSI事業に携わっていく限り、歳を経るにつれて構築から設計へ、設計から要件定義へ、要件定義からプロジェクト管理へ、より単価の高い仕事にシフトしていかないと生活していくことができない、という構造が存在するということを言いたかった。もちろん日本の成果主義や能力主義はハリボテに過ぎないから、給料と職務範囲にブレが生じることは多々あるけれど、企業側にとって望ましい流れは、人生のステージがある程度のレベルになったらば、その生活に見合った給料を与えるために単価の高い仕事にシフトして稼いでくれることだろう。だから、30を過ぎた辺りから徐々に現場の仕事から引き離すようなアサインが行われていき、その結果として現場で生の技術に触れる機会は奪われていく。最終的には現場のSEを続けていくのは困難な状況に追い込まれていくのだ。

第2の命題に対する結論としては、35歳くらいになると周りの環境が許さない状況になるが故に、SEを続けることは困難になっていくだろう、ということだ。よって、回答はYesである。

35歳定年説は真実だった(ただし個々人の事情による)

これらを踏まえた最終的なぼくの結論としては、35歳を超えたとしても、会社として採算が取れる単価が稼げるとか、あまり支出の少ない生活で収入もあまり必要としない状況であるとか、そしてそういう個別の事情を人事的に考慮してくれる会社であるとか、そんな稀な状況にない限り、「35歳定年説」というのは正しいという結論にならざるを得ない。

そして少なくともぼくのいた環境ではそんなわがままが通る環境ではなかった。だからこそ34歳でSEを辞めたのだ。

ここまで言っておいて弱気な補足をさせていただくと、一口にSI事業会社とは言っても、最近は専門分化して業界内での役割分担が為されてきているから、会社によって事情は大きく異なるものと思われる。今まで書いてきたことは、あくまでもぼくが身を置いていた環境ローカルでの話しと限定して捉えていただけると幸いである。

今後この業界に進もうとしている後進の方々に少しでも参考になれば幸甚の極みだ。

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