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事の経緯

事件は夜10時頃に起きた。ぼくはいつものように酒を飲みつつ本を読みながらちょいちょいネットを徘徊したりして過ごしていた。ちょっと気になるニュースが目に止まったので一言コメントを付けてRTしたのが事の発端であった。

ぼくはコメントするに当たって最新のニュースの1つ前の段階のニュースをRTしてしまった。自分が述べたいコメントの内容として1つ前の方が適しているという考えからだった。

それに対してある方が「最新のニュースが出ている」という内容の返信をしてきた。ぼくはその時点ではわざわざそれを出してくる意図がわからなかったので「それは見たけど、何が言いたいのですか」という返信をしてしまった。

その後、2回くらいの往復の末、氏はかなり大きな外交上の問題について持ち出してきた。どうやらそれが主たる論旨だったようで、そう考えるとそれまでの会話の意味も理解でした。ぼくはこの時点で初めて論旨が掴めたのだけれど、そこに至るまでのやり取りにかなりうんざりしていたし、そのような複雑で大きい問題に対して適切に意見をまとめられる準備も自信もなかったし、第一だいぶ飲んでいてとっとと寝たかった。

ということですべてがめんどくさくなったぼくは、議論を打ち切るために氏をブロックすることを宣言し実際にブロックした。その後、頭に血が上ったまま腹立ち紛れにいくつかの捨て台詞をポストした。

以上が大まかな事の経緯である。この経験から学んだことを記憶の新しい今の内に書き留めておこうと思う。

twitterが議論に向かない理由

着地点が見えない状態で議論に突入しがちである

twitter上の議論においては基本的にふっかける側が主導権を握ることになりがちである。ふっかける側は最終的に持って行きたい論点を念頭において問い掛けを投げるわけだが、ふっかけられた側は短い問い掛けの中ではその論旨が掴みきれないので、とりあえず目の前の問いに対して真っ直ぐに回答しようとする。ふっかける側はその回答に対して少し自分の論じたい方向へずらした問いを投げることで議論を誘導して行くことができる。そうして展開された議論は、すべてが終わった後に全体を眺めてみると、ふっかけた側が論理的に圧倒的に正しいように見えてしまう。問題は議論の出発点において着地点の共通認識ができていないことなのだ。

相手の思想信条を把握するのが困難である

着地点が読めない原因は、相手のバックグラウンドや思想信条を知ることが難しいことにも要因があると思われる。手掛かりとなるのはプロフィールと過去のtweetしか存在しない。日本においてはネット上では匿名で活動することが一般的な状況であるし、過去に類似のテーマで何かtweetしていないかを都度確認するのは現実的ではない。twitterにポストするためには文字数を削減する必要があるから、その過程で発言者にとって自明な立脚点は省略されがちになる。そうした基礎知識が無い状態で断片的な発言だけから真意を図り知るのは困難である。

論点が発散しがちである

twitterには140字の字数制限があるので、1回の発言で多くの論点を総合的に論じることが難しい。しかしそもそも議論の対象となるような問題は1つや2つの論点に集約されるような単純な問題であることは少ない。当然いくつかの重要な論点をピックアップして論じることにならざるを得ないが、どれを主要な論点とするかは発言者に託されているので、簡単にそして意図的に論点を摺りかえることができてしまう。論点が頻繁に変わってしまうと建設的な議論を進めることは困難である。その手の訓練を受けている職業の人も中にはいるんだろうけれど、少なくともぼくには無理だ。

今回の反省点

そもそも議論に乗るべきではなかった

長くtwitter上で活動していると、誰でも一度は不毛な議論が展開されるのを目の当たりにして気分を悪くすることがあるだろうと思う。ぼくも何度かそのような状況を見るにつれて、上記のようにtwitterでは議論は成立し難いという認識を持つに至っている。だからできるだけ危険なことからは避けるように気を付けてきたつもりだったのだ。にも係わらず今回その当事者になってしまったことを痛切に恥じている。残念で仕方が無い。

議論の打ち切り方には細心の注意を払うべきだった

ぼくはtwitterの良いところは自分にとってストレスの低いTL環境を容易に構築できることだと思っているので、あまり好ましくないアカウントについては割と気軽にアンフォローしたりブロックしたりしてきた。しかしtwitterのようにゆるいツールだとあまり多くの機能を使わなくとも不便は無かったりするから、どの機能を使うかは千差万別だ。氏はブロック機能にはあまり馴れていなかったようで、ぼくがブロックしたところで大事件のように大騒ぎし出した。自分は議論が発散し出したときには傷が浅いうちに打ち切るべきだと常々考えていたのだから、もっと具体的な手法を用意しておくべきであった。今回の最大の失敗は感情に任せて乱暴に打ち切ったことに尽きる。

ガス抜きは別の場でやるべきである

心身の健康を保つためにガス抜きが重要なのは間違いないところだが、同じ場の延長の中で行うのは傍から見てみっともないことだ。言い訳のしようもない。そのためにも逃げ込むことができる互いに接することの無いコミュニティを常日頃から構築しておくことも重要かもしれない。まあ、それが通常は家族なんだろう。

ちなみに後から氏のtweetやmentionsを覗いてみると、氏とその仲間たちによるぼくの人格批判が繰り広げられていたようだ。特にぼくのプロフィールを踏まえた上で、あいつはあれだからこういう人間なんだろう、的なレッテル貼りが盛り上がっていたようだ。当事者である氏から言われるのは仕方のないことだと思っているのであるが、その周辺の人たちまでぼくに見えないところで批判を始めたのは悲しいことだった。相手に聞こえるところで気付いていないかのように相手に聞こえるように悪口を言う、小中学生のいじめと同じ手法だ。

ぼくは当事者でも無いのによく知りもしない人間の陰口を言うような人間だけにはなりたくない。

事の顛末

とにかく全面的に自分に問題があったのは明らかであったので翌朝不適切な発言はすべて消去しブロックを解除した上で、氏に謝罪を述べた。氏からはブロックされていなかったので無事に謝罪ができたのが救いである。

とは言え、しばらくtwitter上では沈黙を守ろうと考えている。顔も見えない相手とトラブるのは精神衛生上よろしくない。そしてそれは突然やってくるのだ。

こんな内容を140字でつぶやけるような力量が欲しい今日この頃である。

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