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日本赤十字社が東日本大震災後に海外から寄せられた義援金についてした発表が話題になっていました。

朝日新聞デジタル:震災後の義援金、米と台湾が最多 最貧国30カ国からも – 社会
http://www.asahi.com/national/update/0403/TKY201304020473.html

元ネタが見つからなかったのですが報道によれば以下の通りだそうです。10位までを並べてみました。参考までに各国のGDP(国内総生産)も付けてみました。

※GDPは世界経済のネタ帳さんを参考にさせていただきました。

国名 義援金額 GDP(10億USドル)
アメリカ 2,998,118,250 15,075.68
台湾 2,928,947,417 466.42
タイ 2,059,308,051 345.67
オマーン 1,076,700,641 72.68
中国 919,971,886 7,298.15
アルジェリア 835,100,000 197.86
イギリス 784,248,129 2,431.31
ベトナム 783,480,802 122.72
香港 720,389,206 243.67
フランス 617,690,022 2,778.09

4位のオマーンなどは、当時のドル円レートを80円として換算すると、GDPが5兆8,144億円の中から10億円ですから、0.0172%に当たります。これを日本に当てはめると、GDPが469兆3,232億円なので、807億円ということです。

オマーンという国について私はほとんど何も知らなかったので、この国の名前が随分と上の方に出てきたので驚きました。台湾やタイが親日国なのは有名な話ですが、オマーンが日本と関係の深い国だとは思っていませんでした。

調べてみると、どうやらオマーンの現国王スルタンカブースの祖父スルタン・タイムールが神戸出身の日本人女性、大山清子さんと結婚していたそうです。

アラビアンナイトのシンドバッドの出生地ともされる中東の国オマーン。七十年前、同国のタイムール元国王がお忍びで訪日し、神戸市の大山清子さん=当時(19)=と結ばれたロマンスをご存じだろうか。二人とも既に故人だが、在日オマーン大使館によると、娘のブサイナ王女は今も健在。清子さんの妹三人が十一日までに初めて取材に応じ、当時の経緯や王女への思いを語った。
証言したのは神戸市灘区の大山昌子さん(77)、兵庫県芦屋市の美智子さん(73)、神戸市中央区の張喜子さん(70)。
三人によると、元国王は一九三五年、神戸市内のダンスパーティーで、神戸税関に勤めていた清子さんに一目ぼれ。求婚したが清子さんの母親は反対した。元国王は「日本で永久に暮らすため身の回りを整理してくる」と母国に戻り、半年後に来日し再び求婚。母親はようやく結婚を認め、清子さんが十九歳だった三六年五月五日に挙式。翌年、王女が生まれた。「外国人の多い神戸でも中東の人との国際結婚は珍しかった。姉はシンデレラのようで幸福そうだった」と昌子さん。
神戸市内に構えた家には、当時珍しかった外国製の給湯器や冷蔵庫、オーブンレンジがそろい、二人はダンスや船上パーティーに出席するなどして過ごしていた。だが、幸せは長く続かなかった。元国王がオマーンに一時帰国していた三九年十一月、清子さんは腎盂(じんう)炎で急逝。元国王は訃報(ふほう)を受け、神戸市に戻り嘆き悲しんだ。四〇年九月、元国王は「王族の財産を娘に譲るため、一度オマーンに戻る」と王女を連れて帰国。幼かった王女は三人に「トランクに赤ちゃんのラクダを入れて帰ってくるからね」と日本語で言い残したという。
翌年に太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)。音信不通になったが七八年、王女は清子さんが眠る兵庫県稲美町の墓を訪れ、お参りをした。この日以降、連絡はない。昌子さんは「王女は元気だろうか。また再会できれば」と話している。
(今から70年前、オマーン国王と結婚した日本人女性がいたより)

また、オマーンの最大の貿易相手国は日本だそうです。外務省のWebサイトの情報によれば、オマーンからの輸出は原油、天然ガス等の資源やインゲン豆、めばちまぐろ、モンゴウイカなどの食品、日本からの輸出は自動車、家庭用電気器具が主になっているようです。確かにスーパーとかで「オマーン産」の海産物を見る気がする。

ネット上ではお隣の韓国が記事に出てこないことについて批判的な声が多く聞こえました。実際には、24位で215,579,474円だったようです。震災直後には韓国国内で42億円の義援金が集まったという話もあったのですが、どこに行ってしまったんでしょうか。

確かに、サッカーの試合で不適切な横断幕を張ったり、一部の韓国人の言動は看過しがたいものがありますけれど、そういう心ない人間はどこの国にもいるし(日本にも新大久保辺りに出没しているみたい)、極めて少数の人間が声が大きいために目立っているだけです。多くの韓国の人たちは日本のことを心配し、それぞれにできることをしてくれました。それは忘れないようにしないといけません。

私は2011年5月末の一週間、南三陸町で瓦礫撤去のボランティアをしました。そこには韓国から若者たちがボランティアで参加していました。地震の直後からボランティアに行くことを希望していたけれど、なかなか受け入れ先が見つからず2ヶ月も経ってしまったと言っていました。

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ボランティアは大きいテントに寝泊まりしていたんですが、その隣にはWFP(世界食糧計画)の大きいテントが建っていて、この中には大量の韓国ラーメンの箱が詰まっていました。お陰さまで現地にいた4日間、昼食は常に韓国ラーメンをいただく破目になりました。うまかったから別にいいんですが。

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地理的に遠く離れている国であれば支援の仕方は義援金を送ることくらいしかできないかもしれないけれど、近ければいろんな支援の仕方があります。むしろ近い国にしかできないことでもあります。

私たちはあの時に私たちを支援してくれた全ての国の国民に感謝しましょう。そしてその事実を忘れないようにしましょう。もし他の国で災害があって困った人がいるなら個々にできるだけのことをしましょう。

私たちがしなければいけないのはその時のために強い国になることだと思っています。人的にか経済的にかはわからないけれど、恩を返すべき時が来たときに惜しみなく支援できるだけの準備をしておかなければいけません。そうしなければいけない宿命を私たちは負っているのだということを忘れずに生きていきたいと思います。


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