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いわずと知れた「秋葉原通り魔事件」の犯人、加藤智大の手記です。
本屋で偶然見掛けたので勢いで買ってしまいました。買わなければよかったです。

最初のうちはいろいろと突っ込みどころをいちいちマークしながら読み進めていたのですが、あまりにもひど過ぎて途中で断念しました。終盤に至る頃には失笑と苛立ちしか覚えませんでした。

一応、紹介だけしておきますが、本書は「秋葉原通り魔事件」の犯人、加藤智大が自己分析した結果わかった、事件の真相を告白するものだそうです。そのようなことが「はじめに」に書いてあったので本人はそのつもりで書いたのでしょう。

2005年2月に宮城県の会社を辞めたところから2008年6月に事件を起こすまでに、自分の周りで起きた出来事、その時に自分がやったことや感じたこと、そしてそれを振り返った今の考えを振り返り、その中で自分が事件の原因と考えるものを説明しようとしているみたいです。

私にはこの人の思考回路はまったく理解できませんでした。

私が本書を読んで加藤智大に対して抱いた感想は、短絡的・近視眼的・独善的といった言葉です。

本書の中では「相手の誤った考えを正すために」とか「社会との接点がなくなった(もしくは「できた」)」とか「普通の人なら・・・なのでしょうが、私は・・・」という言い回しが頻繁に出てきます。

「相手の誤った考えを正すために」という言葉からは、相手がなぜそういう行動を取るのか、自分に問題がないのか、何の検証もなく、相手が誤っていて自分が正しい、という思考をしていることがわかります。これは短絡的、もしくは独善的な考え方です。

「社会との接点がなくなった(もしくは「できた」)」という言葉からは、目の前にいる人やすぐにレスポンスを得られる人だけが自分の世界と捉えていることがわかります。これは近視眼的な思考です。

「普通の人なら・・・なのでしょうが、私は・・・」という言葉からは、自分はこういう人間であってそれは仕方のないことだ、という思いが感じられます。これも独善的な考えでしょう。

自己分析の中でいくつか「こういう考え方が問題なのではないかと思う」という言及がありますが、なぜそのような考え方になるのかは「自分の性格」ですべて片付けています。

社会に生きる我々は、この悲惨な事件からなぜこのような人間が作り出されてしまったのかを知らなければいけません。それを教訓として同じような人間を生み出さない社会を築いていかなければいけません。なぜそのような考え方になるに至ったのか、それを踏みこんで分析して欲しいし、自分でできないならば外部の専門家が十分に検討できるように、子供時代からの出来事をできる限り吐き出して欲しい、そう思います。

本書によれば、この事件は、自分が管理していた掲示板を荒らした人間に対して、その誤った考えを正すために「心理的な攻撃」を仕掛けたものだそうです。すなわち、荒らした人たちにわかるように掲示板で犯罪予告をし、その通りに犯罪が起きれば精神的なショックを受けてもう掲示板を荒らすようなことはしなくなるだろうと考えた結果だそうです。

だから、この事件は「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。」系の無差別殺人とは違うと言っています。これはある意味、被害者にとっては最悪の真相です。むしゃくしゃしてやったのであれば少なくとも犯人には「人を殺す」という意思があるわけなのですが、この論理で言うと大きく報じられる重大な事件でさえあれば何でもよくて、もはや相手は「人でなくてもよかった」わけです。

こんなことなら、当初報道されたように、非正規雇用とか就職難とかの労働問題や格差社会あたりに原因を求められた方がはるかによかった、そう思います。

私には、この人の言うことは全く一つも完全に理解できませんでした。現在事件は東京高裁に控訴中ですが、一刻も早く刑を確定して執行していただきたい、そういう気分になりました。

願わくば、この本の売り上げが少しでも被害者や遺族の方に渡ればと思います。

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