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何がきっかけだったか覚えてないんですが、いつの間にかKindleに入ってた『こころ』を読みました。言うまでもなく明治の文豪、夏目漱石の代表作の一つです。確か中学生の頃に一回読んで以来なので、実に20数年ぶりになります。四半世紀ぶりと言っても過言ではありません。

さすが国民的な一作のためか、一回しか読んだことないはずなのに何となく大筋は覚えていた通りでした。

登場人物は「私」と「先生」と「奥さん」。あとは実家の「父」「母」。そして、「先生」の記憶の中の友人「K」。

本作は三章に分かれています。一章は「私」と「先生」の交流を描きます。二章は「私」が大学を卒業し実家に帰って病気の「父」と接する日々を描きます。三章は、若き日の「先生」と友人「K」、そして後に妻となる「お嬢さん」との思い出が綴られます。

今回再読するまで、私の中では、「K」は恋に破れて死を選ぶ女々しい男という印象でした。改めて読むと、そんな単純な話ではありませんでした。

「K」は、寺に生まれて色恋を禁じたはずの自分と、それでも「お嬢さん」に心魅かれ、「先生」に奪われたことにショックを受ける自分とのギャップに耐えられず死を選んだのだ、と私は理解しました。もしかしたら、「先生」を憎む気持ちが生じていて、それに耐えられなかったのかも知れません。いずれにしても「お嬢さん」との恋が成就しなかったことが直接的な原因という認識は間違っていたと思います。

二章の実家における両親との生活は、ほとんど記憶にありませんでした。もしくは、このエピソードが物語の中でどんな意味合いを持つのか、当時の自分には理解できなかったんだと思います。改めて読むと、「父」と「先生」の間に多くの共通点があることがわかります。いずれも結果として近々に世を去ることが暗示されているし、明治天皇そして乃木大将の死に強く感銘を受けています。明記はされていませんが、きっと同世代なのだろうと思われます。「父」は乃木大将の殉死により生き続ける気力を失って病状が悪化していくし、「先生」は良心の呵責に長く苦しめられた末、明治時代の終わりに際して、自らの死を決断します。こうして見ると、二章で「父」が死に向かって落ちて行く様は、「先生」の自死を暗示する結末への伏線なのではなかったかと思うのです。

最も感銘を受けたのは、何気にこの物語の中では明確に亡くなる人がいない、ということです。「K」はもちろんはっきり亡くなるのですが、これは「先生」の回想の中の話です。「父」も危篤とは言え、亡くなる前に「私」は東京へ旅立って行き、死の場面は描かれません。「先生」は手紙の中で死を示唆していますが、物語は手紙の最後と共に終わり実際に死ぬ場面は描かれません。

こうした仕掛けが逆に「K」の凄惨な死を鮮明に読者に印象付けることに成功した要因ではないか、などとも感じました。

最近は小説などはほとんど読まなくなってしまったのですが、改めて古典的な名作を読んでみると新たな発見があって面白いと思いました。明治期の名作など著作権が切れた作品は、青空文庫などでフリーの電子書籍が多く出て来ています。

久々に改めて文学作品なども読んでみようかな、と思いました。

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