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いわゆる尊厳死を認める法案が、来年の通常国会に提出されそう、という報道を見ました。

 延命治療を希望しない終末期患者の治療を中止する「尊厳死」を認める法案を、来年の通常国会に提出しようという動きが与野党内で出ている。
 自民党の議員らが中心で、年明け以降、法制化に向けた議論が活発化しそうだ。ただ、尊厳死を認めるかどうかは倫理や死生観にかかわる難しい問題だけに、成立はまだ見通せない状況だ。

(尊厳死法案、現実味…自民PT、議論要請へ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)より)

超党派で作る「尊厳死法制化を考える議員連盟」が作成した法案を基に検討を進める方針のようです。探してみたら、「尊厳死の法制化を認めない市民の会」という団体が公表しているものがありました。

法案は二案あるらしくいずれも全十三条の短いものです。法案の骨子は第五条から第八条あたりです。あとは倫理規定とか免責規定とか。

(定義)
第五条 この法律において「終末期」とは、患者が、傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む。以下同じ。)を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。
2 この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置をいう。
3 この法律において「延命措置の不開始」とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において、当該患者の診療を担当する医師が、当該新たな延命措置を開始しないことをいう。

(終末期に係る判定)
第六条 前条第一項の判定(以下「終末期に係る判定」という。)は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。

(延命措置の不開始)
第七条 医師は、患者が延命措置の不開始を希望する旨の意思を書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合(当該表示が満十五歳に達した日後にされた場合に限る。)であり、かつ、当該患者が終末期に係る判定を受けた場合には、厚生労働省令で定めるところにより、延命措置の不開始をすることができる。

(延命措置の不開始を希望する旨の意思の表示の撤回)
第八条 延命措置の不開始を希望する旨の意思の表示は、いつでも、撤回することができる。

(免責)
第九条 第七条の規定による延命措置の不開始については、民事上、刑事上及び行政上の責任(過料に係るものを含む。)を問われないものとする。

(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)より)

患者が延命措置の不開始を希望しており、医師が終末期であると判定した場合には、延命措置の不開始をしても医師は責任を負わない、というものです。

重要なことは、患者自身が事前に書面で意思表示をしていれば、終末期と判定されたときに誰からも同意を得なくてよい、という点だろうと思います。

おそらく終末期にあっては患者本人は正常な意思表示ができない状態にある場合が多いと思います。現状では家族が延命措置を望んだら医師は延命措置を施す必要があると思われます。(特に根拠は調べてないですが、後から遺族に訴えられるリスクを考えたら事実上医師には忌避する選択肢はないのではと想像しています。)

この法案が成立すれば、家族の希望は考慮せずに延命措置を開始せずとも、医師が責任を負うことはない、ということになります。

今までも何度かここに書いてきましたが、個人的には尊厳死が認められて欲しいと考えてきました。この法案ではあくまで「延命措置の不開始」であって積極的な安楽死が認められることがないのはとても残念ですが、最初の一歩としては重要な法案だと思います。

尊厳死をどう考えるかは、二つの視点が必要だと思います。

一つ目は、自分が死に際したときにどうありたいか。

私の人生においては現時点でも明日を生きなければいけない理由はありません。現状では生きているのと死ぬのとでどちらの方が他人に迷惑が掛かるかを考えれば生きている方がマシなので生きる方を選択しているに過ぎません。

この国では、長く生きるほど他人に迷惑を掛けて生きることになります。特に家族を持たないままに年金生活者になれば社会に何ら貢献することなく若者の所得を吸い上げて生きて行くことになるでしょう。私はそのような状況になってまで生きることにどんな意味があるのか理解できません。その上で多くの医療費を浪費して回復の見込みのない延命措置を受けるような事態は絶対に避けたいと思います。

二つ目は、自分の家族が死に際したときにどう振る舞うべきか。

これに関しては、答えは一つしかありません。本人の意思を尊重します。本人が意思表示ができない状況であり、自分が決断するのであれば、自然な死を選択するだろうと思います。もちろん他の家族の意見は配慮すべきだし、事前に本人とそういう話をしておく必要性はあるでしょう。基本線は、本人の意思に従う、という一点のみです。

今回の法案では、回復の見込みがなく死期が近い場合のみが対象です。認知症や寝たきりなど、生命の危険はないけれど生きていくために他人に多大な苦労を掛けなければならない状況は対象外ということになります。

私は、人には自分の死に方を選択する権利があると思っています。自分の力では生きることもままならなくなったときに「もうこの辺でいいや」と自ら人生を終えられるような世の中になると有難いなと思います。


尊厳死について書いたこと

さっさと死にたい
『2100年、人口3分の1の日本』鬼頭宏(著)
理想はナシ婚

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