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このあたりの記事を読みました。

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記

ちきりん氏のお粗末な科学教育論 – バッタもん日記

詳しくはリンク先の記事を読んでいただくとして、簡単に要約してみます。と言ってもかなり斜め読みなので誤読等ありましたらご指摘ください。

ちきりんさんは、現状のような理数系の教育は興味のある上位3割の人だけにして下位7割の人たちにはもっと人生に役立つ実践的な知識を教育すべきだ、なぜなら私の人生では学校で学んだ理数系の知識はほとんど何の役にも立たなかったからだ、と言っています。

バッタもん日記さんは、子供たちが興味を持つかどうかはやってみないとわからないのだから、大人の都合で子供の可能性を不当に狭めるのは不適切である、科学的思考は知識の寄せ集めではないし実用的な知識だけ付け焼刃で手にしても根幹の思考法を知らなければ使いこなすことはできない、といったことを反論しています。

私としてはバッタもん日記さんの意見に全面的に同意であります。現代社会では小学校に入学してから就職するまで短くても9年間、多くの人は大学の学部を卒業するまで16年以上様々な学問に触れることになります。一方で、人間が世の中で働いていくもしくは生活していく中で専門とする知識は極めて少ないですから、学校で学んだことが直接的に役に立つ場合など非常に稀です。

また、現代社会では一つの仕事で一生を終えることはそれほど多くありません。私自身がそうですけれど、社会人になった頃には想像もしなかったような仕事に気が付いたら就いている場合も多いはず。

にもかかわらず、社会人として働きながらでは、新しい分野の知識を基礎から学ぶことは非常に困難です。仕事でやる以上は成果を出すことが求められますから、給料をもらいながら勉強する機会などそうそう得られません。

学生時代により広い様々な分野の基礎知識を身に付けておくことは、今後の社会を生き抜いていくためにも重要なことだと考えます。

ところで、私は昔から疑問に思っていたのですが、聞くところによると多くの高校では文系と理系にコースが分かれるようです。あえて「ようです」と伝聞調にしたのは、私の通っていた高校はコース分けがなかったからです。

私の母校は某私立大学の付属校だったので大学受験をする人はいませんでした。進学先の学部は高三の年明けに希望を出せばよくて、より広く興味の分野を選択できるように三年間、文系学科も理系学科も関係なく、高校の学習指導要領に載っているすべての科目を履修することになっていました。記憶があいまいですが、一年間で15科目くらいやってました。とにかく定期試験が大変だった覚えがあります。

私は大学は法学部を出ましたけれど、コンピュータメーカーに就職してシステムエンジニアを10年以上やりました。現在は特許関係の仕事で最新のIT技術に触れる仕事をしています。同業者の9割以上は理系の学部や大学院を出た人たちだし、お客さんは博士号を取って企業の研究所で日々研究しているような人たちです。

率直に言って最初は大変でした。用語の意味がわからないし、話の繋がりが理解できないし、何が重要で何が重要でないのか見極めることもできませんでした。面と向かって言われたことはないけれど、無能な奴だと思われたことだろうと思います。今でも思われてるかもしれませんが。

それでもとりあえず3年間曲がりなりにもやってこれたのは、高校の3年間そこそこ真面目に勉強したお蔭じゃないかと思うんですよね。もちろん高校レベルの知識では本質を理解するには至りませんけれど、表面的にはどんな技術か雰囲気を掴むことくらいはできます。何やら筋が通らないところを見出すこともできます(大概は当たり前すぎて説明するまでもないところだったりします)。あの高校で文理問わず広く浅く学んだことが今になって活きてきているように思えるのです。

それで常々疑問に思っていたのですが、文系と理系の区別って必要なんでしょうか?

世の中には、あいつは理系だからとか、あいつは文系だからとか、互いに蔑視する人が多く見られます。しかし、私の狭い知見の中では、本当に成功する人ってそうした区分を超越して広い見識を持っている人が多いように見えます。また、必要であれば分野に関係なく貪欲に必要なことを身に付けていく人たちが多いように思えます。むしろそういう姿勢を持っていなければ、新しいものを生み出すことができないような時代になってるんじゃないか、などとも思います。

だから、私は文系とか理系とかあまり早い段階で分けてしまうのは、これからの時代はなおさら不適切な教育手法なんじゃないか、などと思うのです。文理問わずできるだけ広く基礎知識を身に付けることができ、あまり早い段階で子供たちの進路を決めつけるようなことはしないで欲しいと思います。

もちろん現状は大学受験の関係で分けざるを得ないのも理解できます。日本の教育システムの方向性としてどうするのか、国を挙げて検討すべき事項なのでしょう。その割に選挙でこういう話題が争点にならないのが残念なところです。

そういうわけで、件のちきりんさんの記事については、私は一片たりとも賛同はできません。むしろ真逆の方策をとることが今後は重要だと考えます。

しかし、ちきりんさんのブログは結構長く読んでいますけれど、会社を辞められてからの劣化っぷりは目を覆うものがありますね。近年は社畜的な考え方をDisるのがブームみたいで「仕事で自己実現」的なことを言うのは恥ずかしい雰囲気もありますけれど、やはり一線で仕事するからこそ感性が磨かれるという面があることは否めないと思います。

そんじゃーね。

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  • じゃっきー

    この問題、他でも扱っていたので、気になって拝読しました。ちきりんさんが世に問うた問題だったのですね。^ ^

    わたしも主様に賛成です。
    文系も理系も実は全部つながっていると思うのです。
    中学高校では教科毎に閉じてしまっているので、数学の数列など何の役に立つのかさっぱり判らないし、苦手だったので、投げ出していました。

    文系・理系の括りで言えば、わたしは完全に文系でした。

    社会人になって、正規分布や標準偏差、多変量解析で相関や分布など、世の中に事象に当てはめる考え方を知り、断然面白くなりました。(映画制作にあたって、監督・脚本・主役の俳優・その他映像のスタッフの過去の実績から相関を見て、映画が当たる確率を調べたりする場合もあります)。正規分布は、金融のリスク管理でも使うし、マクロ経済でも使います。

    計算はエクセルや、非常に複雑なものになるとコンピュータがやってくれるので、こうゆう考え方があるということを知っているだけで役に立ちました。

    生物で膵臓のランゲルハンス島から分泌するのはインシュリン、などと覚えたのも、糖尿病や肥満などの問題を知るのに役立ちます。

    自動車メーカーの仕事は物理が元になっているし、食品メーカーは化学や生物や栄養学(家庭科)、化粧品メーカーは化学や生物、物流だったらエネルギー問題や、経済でみる世の中の流れ(景気がよければ物流が活発)など、すべての教科が関連し合っているのです。

    今問題になっているウクライナ危機は過去の歴史を見る必要があります。地政学も関連しているので、地理の知識あれば便利だし、政治を知るのはエネルギー問題を知る必要があるなどです。

    分断させるから面白くないのであって、それぞれ世の中の事象に当てはめれば、不要な科目はないのです。

    親戚が教員をしていますが、今小学校では、教科の境を取り払って教えているようです。それで各教科の関連性が判って、子供も生き生きすると思うのです。

    ちきりんさんって幾つくらいなんだろう?確か一橋大学出身でしたよね。わたしも地味な国立大学ですが、5教科7科目受験にあったので、それで良かったな〜と今振り返って思います。

    (長くなってすみませんでしたm(_ _)m)

    • じゃっきーさん、コメントありがとうございます。
      ご理解いただけて嬉しいです。興味深く読ませていただきました。

      社会に出るといろんな学問が密に関連して物事が動いているのがよくわかりますよね。
      そこで学生時代にどれだけ基礎知識を身につけてきたかということが効いてくるような気がします。
      初等教育の段階から一つの物事に多くの科目が絡んでいることを知っておくのは重要なことだと思いますので、そういう試みがあるということは喜ばしいことだと思いました。
      やはり一番変わらないといけないのは大学なんじゃないかという気がしています。