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東日本大震災の際に、津波で壊滅した防災放送設備の代わりに地域住民へ情報提供を行う災害ラジオ局が各地で立ち上がりました。

そのうちの一つ、南三陸町の「FMみなさん」の活動を描いたドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』で演出上のやらせがあったことが報道されていました。

 東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町のラジオ局に密着したドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」に、「やらせ」があったことが分かった。娘と孫を津波で失った女性がラジオに励まされる場面が描かれるが、実際はラジオを聴いていなかった。女性は制作者の求めに応じて演技をしてしまったことに罪悪感を抱き、苦しんでいる。

出典:震災記録映画「ガレキとラジオ」でやらせ ラジオ聴くふり:朝日新聞デジタル

私は2011年5月下旬に4日間、南三陸町でボランティア活動に携わった経験があります。その南三陸町が舞台の映画ということで、この映画も劇場で観ていました。

感想はこちら→映画『ガレキとラジオ』

津波で家族を失って避難所で一人暮らす年配の女性が出演していたのははっきりと覚えています。映画の最初から最後まで複数回の出演シーンがありました。ほぼリスナー代表のような描かれ方だったように思います。

私は極めて単純な人間なので、「おばあさん、かわいそうだなぁ。自分たちも被災者なのに地域の人たちに元気を与えるために頑張るラジオ局の人たちはすごいなぁ。」などと小学生並の感想を持っていました。

しかし、改めて調べてみると、当時からこの演出に違和感を覚えていた方もいたようです。

その一方、本作ではリスナー代表として一人の女性に密着している。
その女性は津波で娘と孫を失い、仮設住宅で独り暮らしをしているんですが、
まぁ、批判を覚悟で言わせてもらうと「彼女を出す必要があったのか?」と。
(中略)
しかも本作では、この女性に結構いろいろなことをやらせてるんですよ。
例えば津波で家族を失ったのに、わざわざ海が見える場所で話を訊いたり、
彼女が番組に書いたリクエストハガキの文面をまたもう一度ハガキに書かせたり。
なぜこんなわざとらしい「演出」をさせたのか。
疑問を通り越してかなり腹立たしかったです

出典:映画「ガレキとラジオ」について|はちごろうの徒然日記

言われてみると、ラジオ局側がメインの作品で一人のリスナーにスポットライトを当てて殊更に取り上げることが必要だったかと言うと疑問なのは同意します。もっと多くのリスナーたちに取材をしてもよさそうな気もしました。

また、映画全編を通して、仕掛けられたような芝居臭さがあったのも、言われてみると思い当る節があります。これはやらせを強要された女性のシーンに限った話ではありません。映画全体の印象です。

報道を受けて監督のメッセージが映画の公式Facebookページに掲載されたのを読みました。

皆様へ

本日(3月5日)朝日新聞朝刊にて、「ガレキとラジオ」について「震災記録映画でやらせ」という報道がありました。 

 「ガレキとラジオ」の製作は、3.11後に南三陸町に生まれた災害FMラジオ局「FMみなさん」を通じ、町が再生へ向かおうとしている姿を、震災を振り返るために残したいという想いで始まりました。地元の皆さまのご賛同を頂き、撮影スタッフは自分たちで調達した車に泊まり込み一年近く必死でラジオ局を撮影しつづけました。

 ご出演頂く候補の皆さんにお話をお伺いし、その中でとある方に出会い、その方から避難生活のさみしさを伺いました。しかしながら、その方は「FMみなさん」の電波が届かない地域にお住まいでしたので、ラジオ番組を録音したCDを提供し、聴いて頂いておりました。  当然、ご本人、ご家族の了承を頂き、撮影を行いました。映画の公開後も、その思いがけぬ広がりを喜んでくださっていましたが、現在はご心労をおかけしておるとのことを、大変申し訳なく思います。

以上は、ドキュメンタリーとして許される範囲の「演出」として考えておりました。しかし、それがドキュメンタリーを逸脱したものだというご指摘は真摯に受け止めたいと思います。

2012年8月の映画の公開後、多くの皆さまから自主上映会を行いたいという声をいただきました。 私たちはできることであれば、今後も、「映画で東北を知る支援」の活動を継続していきたいと願っています。

このたびは、お騒がせ致し誠に申し訳ございません。 何卒、本映画の趣旨をご理解頂けますよう、心からお願い申し上げます。                                                   ガレキとラジオ                       梅村太郎 塚原一成

出典:ガレキとラジオ – 監督からのコメントが届きました。

このコメントは全体のほとんどが、震災復興のためにスタッフが厳しい環境下で撮影したものだし、被災地の関係者みんなが喜んでくれた、という言い訳に終始しています。

そして、致命的なことは、ドキュメンタリー作品に演出が入り込む余地があるという前提で語っていることです。

私は思うのですが、ドキュメンタリー作品で演出が許されるのは必要最低限でなければいけません。例えば、映像の順番などの構成、ナレーションやBGMの追加、視認性を高めるためのフィルタリング程度のものではないでしょうか。

まかり間違っても、映像を構成する生の映像素材に演出、ましてや虚偽の事実を断りなしに紛れ込ませることはあってはならないことです。それは観客のみならず、他の出演者をも愚弄する行為です。許されていいことではありません。

率直に言って、私は劇場でこの映画を観たとき、大変に感動しました。これは貴重な記録映画だし、教育現場でも活用されるべきだと本気で思っていました。実際に自主上演会なども頻繁に行われていたことも今回知りました。

でもすべては台無しになってしまいました。

ドキュメンタリーと銘打って平気で事実を捻じ曲げるような制作陣であったことが知れた今、仮にその部分を再編集で取り除いたとしても、それ以外の部分がすべて真実だと誰が信じることができるのですか?

古くは『あるある大辞典』、最近では『ほこ×たて』などなど。やらせが原因で消えていったテレビ番組は枚挙に暇がありません。結局、この作品のスタッフは目的のためなら平気で嘘をつく奴らだと思われたら、信用を回復することは不可能なのです。

だから、この映画は死にました。

これから如何に言い訳をしても、再編集をして真実のみで構成し直しても、一旦観客が持った不信感を拭うことはできません。潔くお蔵入りとするのが、何より主たる出演者である災害ラジオ局のメンバーのためだと思います。彼ら彼女らは偽ドキュメンタリーの汚名の下に顔と名前を晒され続けることになるのですから。

今回、やらせがあったこともそうですが、一番に不愉快なのは、監督や作品を企画した広告代理店のコメントがいずれも「やらせではなく演出が行き過ぎたという印象を持たせてしまっただけ。お騒がせしたことはお詫びする。」というスタンスで述べられていることです。

私はその傲慢さが許せません。
要するに、彼らはこう言っているわけです。

お前ら単純だから、こういう演出にしたら泣いて喜ぶんだろ?

バカにするのもいい加減にしろ。

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