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秋田県藤里町で起きた児童連続殺傷事件に関するルポルタージュを読みました。いわゆる畠山鈴香事件です。

事件の概要は次の通りです。2006年4月10日、小学四年生の畠山彩香ちゃんの遺体が発見。警察は事故と判断して捜査を行いませんでしたが、これに不満をもった母親畠山鈴香は事件として捜査するよう警察へ直訴。地元での署名活動などを行います。そのうち5月18日には畠山家の二軒隣に暮らす小学二年生の米山豪憲くんが遺体で発見。この頃から畠山鈴香が怪しいという噂は地元から聞こえておりマスコミも取材攻勢を激化。6月5日、警察は米山豪憲くんの死体遺棄容疑で畠山鈴香を逮捕。6月25日には米山豪憲くんの殺人容疑、7月18日には畠山彩香ちゃんの殺人容疑で再逮捕。

公判では被告人畠山鈴香は米山豪憲くんの殺人については容疑を認めますが畠山彩香ちゃんの殺人については自白を覆して無罪を主張します。2008年3月19日、秋田地裁は二件の殺人による死刑求刑に対して無期懲役の判決を下します。弁護側、検察側双方がこれを不服として控訴。2009年3月25日、仙台高裁は秋田地裁の判断を支持し、双方棄却。2009年5月19日、弁護側は上告を断念。無期懲役が確定しました。

本書は全般的に畠山鈴香を擁護する論調で綴られています。本書のタイトル「橋の上の殺意」は、畠山彩香ちゃんの死に関して畠山鈴香に殺意があったかどうかが公判において焦点となったことを表しています。畠山鈴香は事情聴取で殺害を大筋で認めていたものの公判で健忘=記憶にないと供述を翻し、この点が最後まで争われました。殺意が認められれば極刑は免れられないというのがコンセンサスでした。

本書では畠山鈴香の生い立ちから学生時代、結婚そして離婚、シングルマザーの生活など半生を丹念に追っています。子供の頃からいじめにあったりしてあまり幸せな時代もなく、結婚相手も年下で甲斐性がなくすぐに離婚、本人も精神的に不安定で何度となく自殺未遂を犯しています。精神鑑定の結果も刑事責任能力は認められるものの、解離性障害や発達障害などが認められると診断されています。

畠山鈴香は彩香ちゃんと事件現場である大沢橋まで行ったことは記憶しており認めているものの、それから気がつくと橋の上に一人でおり、事件の瞬間の記憶を健忘していました。検察側も結局は殺意の証明はできず、また精神鑑定でも本当に記憶を失っていることを示す診断結果があり、死刑求刑に対して無期懲役の判決が下されたのでした。

このような不幸な事件において遺族感情と情状酌量とのバランスというのはとても難しいものがあります。本書の筆者は元々死刑制度に反対の立場のようで、そうしたポリシーからも畠山鈴香擁護の論調に至っているようにも思えます。私は死刑制度はあってしかるべしという立場ですから、本書でも控えめながら描かれる米山豪憲くんのご両親の強い怒りの言葉を見るに、未来のある児童を身勝手な感情で絞殺した上に遺体を川に投棄した残酷さをもって極刑とする判断もあってよかったのではないかとすら感じました。

確かに思い返しても当時のワイドショーを中心としたマスコミの報道は一方的過ぎて、畠山鈴香の厳しい半生や脆弱な精神状態などは知り得なかったので、この事件(というか畠山鈴香)に対する印象は大きく変わりました。それでもやはり彼女を擁護する気持ちにはなれないな、というのが正直な感想です。

ところで、当時の報道の様子はどうだったかを思い出そうと考えて調べてみると、YouTubeにアップされた映像が残っていました。

確かに彼女は結果として犯罪者だったわけだけれど、メディアスクラムというものが如何に害悪であるかがよくわかります。この時点では逮捕もされていなくて地元で怪しいと言われていた段階なのです。まったく事件とは無関係な彼女の弟さんも大写しされています。ちなみに本書によると弟さんは事件後職を失い再就職もかなっていないようです。報道の自由を盾にしたマスコミの横暴についても忘れてはならない事件の一つでした。

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