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2月に父が亡くなったので喪中葉書の準備をしている中で、ここ数年父がやり取りしていた年賀状を眺めたりしています。

相手は学生時代の友人や会社員時代の同僚が主なのでほぼ同年代(70代半ば)です。ほとんどの人は引退して年金暮らしのようです。

まだまだ身体が自由に動く年代ですから、多くの年賀状からは隠居生活を満喫する雰囲気が伝わってきます。うちの両親も含めてこの世代の人たちは戦争もなく高度成長を体現しデフレで苦しむ前に引退して年金も逃げ切りで満額受け取れて、本当にいい時代を生きた世代だと思います。

そうした父の友人の年賀状の中に数枚、異様なものが混ざっていることに気付きました。その年賀状にはヘルメットをかぶった年配の方の写真が印刷されていて、以下のような手書きのコメントが記されていました。

「今年は勝負の年です。年明けから泊へ行きます。」

泊と言うとあれですよね。北海道電力泊原子力発電所。どうやら差出人はいわゆるプロ市民の方のようです。

父とは彼が死ぬまで40年弱の付き合いでしたが、政治に関する話などは特にしたことがありませんでした。だから、その政治信条は詳しく知りませんし、知ろうと思ったこともありませんでした。

今になって思い返してみると、父は「組合が」「組合が」とよく言っていました。勤め先の労働組合で要職にあったようです(葬儀の後に書記長を務めていたことを知りました)。子供の頃はメーデーの集会とかに連れて行かれた覚えがあります。うちでも一時期は赤旗新聞を取っていたことがあるし、共産党の市会議員と懇意にしていた記憶もあります。うちは今でも朝日新聞です。

すべての事情が左寄りを示しているのは偶然ではないでしょう。彼は共産主義者だったんだなと今になってわかりました。

私は基本的に左寄りの人たちが嫌いです。思想的にというよりも言動不一致が目に余るから。平和を守りたいと叫びながらその言動はあまりにも暴力的な人が多い。父の友人がヘルメットをかぶった写真を敢えて年初の挨拶で送って来たのは、それを如実に表しています。彼ら彼女らの平和の基準は私のそれとは断絶しています。

だからきっと父と生前に政治的な話をしたところでわかり合えるはずはなかっただろうと想像はできます。それでも、彼がどういう物の考え方をする人だったのか、どういう理想の世界を思い描いていたのか、もう知ることができないと思うと何ともったいないことをしたのかと思います。なんでもっと腹を割った話ができなかったんだろうか。

返す返すも残念で仕方ありません。

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