スポンサードリンク

最近わが家の最寄り駅では朝近隣の中学生による募金活動が行われています。期末試験が終わって暇なんでしょうか。東日本大震災の義捐金だそうです。駅の改札前の道路を挟んだ両脇に総勢20名くらいが列を作って「募金お願いしまーす」と声を張り上げています。

私が通りがかる数分の間にも少なくない通勤客が募金箱に小銭を投じています。そのたびに一斉に「ありがとうございまーす」と嬉しそうな声が上がります。中学生たちはとても楽しそうです。世の中捨てたものではないことを実感しているのでしょう。

ところで、私は一度も募金に協力していません。改札に入るには中学生のトンネルを通過しないといけないのですが、私が歩いて近づいていくと中学生たちは一斉に私を凝視して「募金お願いしまーす」と大声を上げます。私が意に介さない様子で道を進むと、その先の生徒たちが「お願いしまーす」「お願いしまーす」と声を上げます。彼ら彼女らの目は徐々に失望の色を濃くしていき、終いには憎悪すら湛えているかのようです。私は大変に居心地の悪さを感じながら、改札を抜けてホームに向かいます。これが一週間毎日続きます。

私が募金に協力しないのには理由があります。私は毎年3月11日に赤十字の東日本大震災義捐金へ寄付をしています。また、毎月あるNPOに寄付しています。海外で何らかの災害などがあれば赤十字を通して義捐金を寄付するようにもしています。確定申告の寄付金の総額は毎年10万円を超えており、私の収入に見合った額の寄付はしているつもりです。

そもそも社会貢献の仕方は一つではありません。税金を納めることや国債を購入することで国を通じた支援もあり得るし、東北に旅行に行くことや東北を基盤とする企業の製品を購入することでも支援になります。身も蓋もない言い方ですが、東北から遠く離れた関東郊外の中学生が小銭を集めたところで震災復興支援に貢献する程度なんてたかが知れています。それより少しでも勉強して将来稼げる大人になってもらった方が遥かに有益とすら思えます。

もちろん中学生ができる範囲で社会貢献をする体験をすることが情操教育に役立つ面はあるのだろうと思います。しかし、このように無差別的に募金を迫るのはフェアではないし、身勝手な大人が世の中に溢れていると中学生たちに誤解させかねないやり方はあまり感心しません。

少なくとも募金活動をやらせるのであれば、世の中には社会貢献の仕方は様々あって、募金に協力しない大人たちもそれぞれのやり方で社会に貢献しているのだということは伝えておいて欲しいものです。

LINEで送る
Pocket