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2009年にNHKクローズアップ現代で放映された番組の書籍化です。放映された内容の取材記や追跡取材、放送後に寄せられた反響などで構成されています。

きっかけは北九州市で2009年に発生した孤独死でした。

 二〇〇九年四月十三日。ある借家で、一人の男性が孤独死しているのが発見された。北原学さん(仮名)、三十九歳。四月初めごろ、餓死したと見られている。北原さんは、仏壇の前に敷いた布団の上で亡くなっていた。冷蔵庫には何も入っておらず、所持金はわずか九円だけだった。

出典:『助けてと言えない 孤立する三十代』15頁

北原さんは1969年北九州市生まれ。1990年に専門学校を卒業後、金融関係の会社に正社員で就職するも、激務がたたって体調を崩し退職。地元に戻って再就職を試みるもその間にバブルが弾けており失敗。福岡市で飲食業などのアルバイトで生計を立てるようになります。

仕事ぶりは熱心で職場での信頼は集めますが、浮き沈みの激しい飲食業の非正規労働者では生活も安定せず、消費者金融から借金を重ねるようになります。借金は雪だるま式に増えていき、次第に返済も滞るようになったことで職場にも迷惑をかけたことで、2008年末職場を退職。再度職探しを始めますがちょうどリーマンショックの時期と重なり職は見つからず、借金だけは増えていきます。

北原さんには大阪で働く兄がおり、たびたび経済的な援助を頼むことはありましたが、そこまでの生活苦にあることは打ち明けていなかったようです。

2009年1月には生活保護の申請に区役所を訪れていますが、若くて健康上の問題もない北原さんは相談員から幅広く仕事を探すように諭され、結局生活保護の申請はしないで区役所を去りました。

3月20日頃、北原さんは幼馴染の家に電話をかけ、幼馴染の母親に食事を用意してもらいます。幼馴染の母親は北原さんが痩せたことを心配しますが、北原さんは病気で食べていなかったと説明し、生活が困窮していることを相談することはありませんでした。

その後、4月13日、北原さんと連絡が取れない状態が続いていた大家が警察に通報し、布団の上で亡くなっているところを発見されます。遺体のそばには一通の封筒が置いてあったそうです。中に入れられていた紙切れにはこう書いてあったそうです。

「たすけて」

私は現在39歳。ちょうど北原さんが亡くなったのと同じ年齢です。ありがたいことに社会に出てから一貫して正規雇用で働くことができているし、生活に困ったことはありません。

でも、北原さんの半生を追ってみると、決して他人事とも思えません。かなりの激務に耐えた時期もあるし、業績が上がらずリストラを繰り返す会社にいたこともあります。現在健康体で安定した職にあるのは、幸運によるところも大きいと心得ておくべきだと改めて思いました。

もう一つ他人事と思えないのは、いくら生活が困窮しても誰にも助けを求めなかった、というか求めることができなかった北原さんの心理です。自分がもしも不運にも職を失って生活苦に陥ったとして、親兄弟や友人に助けを求めることができるだろうかと問いかけてみれば、その答えは「無理」しかありません。

その気持ちを端的に表している言葉が本書にありました。

「私も努力、根性、自己責任という言葉を強く埋め込まれてきた。刷り込みともいえるような教育を受けてきた三十代にとって、この心理はいかんともしがたい」(三十代・男性)

出典:『助けてと言えない 孤立する三十代』118頁

この方の言うように、この世代の人生観には刻印のように「自己責任」という言葉が焼き付けられていることを実感します。しかし、私には、そのような教育を誰かから受けたという記憶がありません。教育というよりも時代の空気だった気がします。1990年代後半から2000年代前半、バブル崩壊による不良債権が日本経済に重く圧し掛かり、企業ではリストラが断行されて終身雇用が崩壊していった中、個人の能力が過度に要求される空気があったように思えます。その時期に就職活動をし、社会で働くことの原体験を得た世代が、まさにこの孤立する三十代の世代なのではないかと思うのです。

きっとこの世代のこの意識は大きく変わることはないでしょう。恐ろしいことにこの世代は団塊ジュニア世代で数も多く、就職氷河期の最初の世代で最初から非正規で働かざるを得なかった人が現れた世代でもあります。2050年頃日本の少子高齢化はピークを迎える予想がされていますが、そのとき70代になった世代がわずかの年金で生活苦に陥り、それでも助けを求めることを良しとしなかったとき、どんな社会になっているのだろうと考えると、空恐ろしいものを感じます。

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  • メタリカ学習帳

    生きておられたら今年で45、6歳…とても残念です。
    この方の様々な思いを勝手ながら垣間見、半端なく身につまされる思いです。
    真面目で勤勉で人当たりも良く、働く意思はあっても、なかなかいい仕事がなく安定せず、上手く行かない…やり場がないです。
    身近な人に助けを求められないのは、言い方はとても悪くて申し訳ないのですが、見栄もあるのかなと思いました。
    自分は年齢も年齢だし、仕事をきちんとこなして何とか食べていけるだけの生活はしている、社会人としてやって行けている、という周りに対するささやかな見栄と言いますか、自分の事は自分で面倒みているよ、それだけの努力はしていますよ、と。
    間違っていたらすみません…。
    決して嫌味とか貶して言っているのではなく、自分もなんとなく判る気がするからです。
    親には昔から「仕事をえり好みするのは贅沢だ」だの「仕事があって食っていけるだけ有難いと思え」だのと口を酸っぱくして言われて来ましたが、その通りです、職業に貴賎はないです、と本気で思いました。
    もっとも自分みたいなダメ人間が偉そうに言えた義理ではないのですが…。
    考えさせて頂きました、ありがとうございました。

    • QJV97FCr

      メタリカ学習帳様、コメントありがとうございます。
      おっしゃるとおり見栄の要素は大きいと思います。
      団塊ジュニア世代で同年代も多いですし、同調圧力の強い中で育ってきて、自分だけが上手く行ってないと思うと、打ち明けづらい気持ちが出てきても不思議ではありません。
      みんな同じように苦しみながら生きていることを気軽に話せる世相ができてくると何かの救いになるかもしれない、などと思ったりします。